面庄とは

…京都には優れた人形師がたくさんいた筈だし、代々家業とした家も少なくはなかったであろう。しかし明治維新と、それにつづく東京遷都のあと、古い人形師の家は殆ど残らなかった。幸い例外が一つあった。「面庄」である。
…初代は京都生まれの面屋清右衛門友雲、宝永頃の人であるから、丁度、雛人形がさかんになり出した時代である。その前は能面師だったから「面屋」と名乗ったという。「面庄」の呼び名は、十世が面屋庄七と名乗り、十一世(明治三十三年没)も庄七名を継ぎ、十二世(昭和二十年没)が庄次郎で、十三世が岡本庄三と、四代にわたって「庄」が続いたのと、十世庄七の娘が弟子と結婚して分家、面屋が二軒できたからである。(分家の方は「面竹」と称している。…) …古い人形師の家々が維新で姿を消さなくても面庄が一番古いのではないかと思われる。
昭和二十八年、面庄・岡本庄三は「三つ折れ人形」で、面竹岡本正太郎は「御所人形」で無形文化財の指定を受けた。…

―「日本美術工芸」昭和40年4月1日発行 319号
 「日本の工房<11> 御所人形」(村松 寛著)より抜粋―
※抜粋した記事が先代の時期に書かれたものであるため、混乱を防ぐために内容を変えているところがあります。



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